北マリアナ諸島(サイパン・テニアン・ロタ)初となるアイランドブランド"Mariana Blue Transit"が日本初上陸!!
"Mariana Blue"は北マリアナ諸島でしか見られない色味を表現し、"Transit"は島の歴史の移り変わりを意味する言葉から生まれています。
北マリアナ諸島の歴史の移り変わりから誕生した6つの愛の物語"Story of six Love"をデザイン化した"Mariana Blue Transit"
北マリアナ諸島の名前の由来は、1667年に皇帝フィリップ4世の妻であるオーストリアの妃「マリアナ」となりました。北マリアナ諸島でしか見られない海の色を示すMariana Blue
スペインはこの島々をスペイン領「マリアナ諸島」とし、以降333年に渡る植民地支配の歴史がはじまりました。その後、グアムのアメリカへの割譲、北の島々のドイツへの売却、日本による占領、アメリカ軍による基地化などの出来事がありました。
1900年代に入ると第一次世界大戦が終結するほんの短い期間ですが日本はアメリカ合衆国、大英帝国、フランスと同盟を結び、太平洋統治機関としての称号を得ました。
第一次世界大戦終結と共に国際連盟の元でマリアナ諸島は日本の委任統治領となりました。
事実上マリアナ諸島が日本に併合された後、1935年に日本は国際連盟を脱退しました。
当時の産業は製糖と漁業でした。人口はサイパン島で約3000人だったのが、日本からの入植もすすみ約24000人にも増えました。第二次世界大戦の暗雲が立ち込め始めた頃、日本軍人だ けで約30000人いたと言われています。1944年6月15日にアメリカの猛攻撃をうけ、ビーチの砂浜や山岳では歴史に残る激しい戦いが繰り広げられました。この攻撃を受け、30000人いた日本兵は1000人だけが生き残ったと言われています。非戦闘員10000人もほぼ全滅でした。7月にはアメリカが周辺諸島の支配権を握り、翌年にはテニアンから広島へ向けて原爆を積んだB-29「エノラ・ゲイ」が飛び立ちました。
日本の敗北によりサイパンはアメリカの信託統治領となりました。1986年にサイパンを含む北マリアナ諸島は、アメリカの自治領となり、2009年にアメリカ合衆国連邦化のプログラムが実施され出入国管理が合衆国政府に移管されています。
2019年、SKYMARKがサイパンへの直行便を開始します。サイパンへの日本人観光客は全盛期と比べると8割減。北マリアナ諸島は日本人を待っています。
MarianaBlue Transitが、日本人を北マリアナ諸島へ行く"きっかけ"になってほしい。
リゾートファッションを楽しみ、最高の休暇をサイパンで過ごし、心を満たしにサイパンへ行って欲しい。
そんな思いを込めてMarianaBlueTransitは、多くの歴史や伝説が残る島々をデザイン化し、サイパンを思いっきり楽しめて、日本でもオシャレにきこなせる"サイパンスタイル"を作り上げます。
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